インタビュアー/佐藤健太
ライフプランの相談サービス「マネーセージ」CMO。心理カウンセラー・コラムニスト。社会問題から政治・経済まで幅広いテーマでソーシャルリスニングも用いた独自の分析を行い、人の「心理」の観点から様々な業界に助言。メンタルヘルス対策や各種コンサルティングなどを担い、コラムニストとしても活動している。
※インタビューは12月上旬に行われました
1940年体制からの転換 渡辺喜美・元金融担当大臣インタビュー(上)はこちら
この記事の目次
――金融政策だけで成長を実現しようとしても難しく、今こそ成長戦略の加速が不可欠であると思います。岸田文雄政権にはシンボリックな成長戦略はあるのでしょうか。また、渡辺氏は経済成長のために、何をやるべきであると考えていますか?
渡辺 喜美氏
日本がこの30年以上も「成長しない国」になってしまった原因は、第1に、財政・金融のマクロ政策に失敗したこと。第2に、冷戦崩壊後の世界の劇的構造変化についていけなかったことです。
今、日本が「成長する国」になるためには
①財政金融の正しい国家経営をすること
②米国の相対的な地位の低下と台頭する独裁国家群のもたらす地政学リスクの中で国家経営のイノベーションを持続的に行うシステム構築しつつ、民間のイノベーションを促進すること
にほかならないと思っています。しかし、岸田政権では正直難しいでしょう。
日本の潜在成長率が谷底へ転げ落ちるように劇的に低下したのは1989年からです。この年、日銀は一般物価が上がってないのに資産価格高騰を抑えるため公定歩合を上げ、1年で6%に達しました。同年11月、ベルリンの壁が崩壊し、世界のマネーは1990年から統一ドイツに向かい始め、日本では株価が暴落。2年後、ソビエト連邦が崩壊し、マネーはロシアを目指しました。「日本型資本主義」を支えた土地本位制が、地価暴落により崩壊。したのです
1995年ごろ、世界経済は一体化し、1940年前後に完成した日本の国家社会主義的な官僚統制・中央集権システムが時代遅れになっていることを当時、自民党の派閥領袖クラスはみんな自覚していたと思います。日本の不幸は1993年に政権交代した細川護熙内閣が政策の優先順位を「政治改革」とし、日本型資本主義の残滓である不良債権の処理が構造改革の第1であることに全く関心がなかったことにあります。結局、小泉純一郎内閣時代の「りそな銀行」への公的資本注入まで10年の歳月を要しました。
歴代内閣の成長戦略は、大半が霞が関官僚の「短冊」であり、歴史的観点が決定的に欠如していると思います。岸田政権のそれも延長線上にあるでしょう。日本経済を「成長させない」元凶は、官僚統制・中央集権の基盤となっている規制と、年功序列・天下りシステムを頂点とする官僚人事制度です。第1次安倍内閣は私を大臣に据え、法案を通し、ここにメスを入れましたが、財務省をはじめとする霞が関の猛烈な抵抗に遭いました。第2次以降の安倍内閣はその教訓から霞が関との調和に努めたので長期政権となった面もあると思います。
歴史に「もしも」は禁句ですが、もし第3次安倍内閣が誕生していれば、国家経営のイノベーションを持続的に行える公務員制度改革に着手したと思います。民間企業のイノベーションは国家の規制が解ければ自然と進むでしょう。日本の不幸は1940年につくられた国家目的に奉仕する「統制会」が「経団連」と名前を変えて未だに経済界の主流をなしていることです。経団連会長を出す企業はすべて戦時体制で今日の基を築いた会社ばかりです。
今、世界中が地政学リスクに身構え、安全保障を全面に押し出さざるを得ない状況下で、官僚統制・中央集権の「先祖返り」はステルス的に進んでいます。単なる先祖返りであれば、日本が成長を取り戻すことは不可能でしょう。第1次安倍内閣が目指し、私が担当させてもらった「規制と官僚制度の一体改革」こそが日本の成長戦略の最大の課題にほかならないと思います。
――岸田首相は昨年11月末、「新しい資本主義」の具体策となる「資産所得倍増プラン」を決定しました。このプランについての考えを教えてください。また、少額投資非課税制度(NISA)枠の拡大は金融庁や財務省のレベルでやれば良く、首相が指導力を発揮するほどのことでもない気もするのですが、いかがでしょうか?
渡辺 喜美氏
岸田首相は英ロンドンで「Invest in Kishida」(岸田に投資を)と言いましたが、いつ首相を辞めるか分からない人にお金を出す投資家がいるのでしょうか。スピーチライターの感覚を疑ってしまいます。昨年9月の自民党総裁選の時は「所得倍増」と、岸田氏が率いる派閥「宏池会」(岸田派)の大先輩・池田勇人元首相のキャッチフレーズにならっていたのが、いつの間にか消えて「資産所得倍増プラン」になりました。とどのつまり、経済成長がないと所得は増えませんが、NISA拡充とか姑息なプランで株価対策をやろうということではないでしょうか。
戦前、日本は「普通の資本主義国家」でした。ちょっとした企業が資本市場で資金を調達することは当たり前に行われていたのです。「小金持ち」は資本市場に投資していましたよ。「直接金融」が「間接金融」に大きくシフトさせられたのは、やはり野口悠紀雄氏の言う「1940年体制」です。
資本市場は統制が効きにくい。「一県一行主義」と称して直接金融から間接金融へのシフトを計り、金利も統制したのがその頃です。債権よりも資本の方がリスクが高い分、プレミアムがつくのは当たり前の話です。経済成長が続く限り、その分格差が拡大するのも当然。格差是正は最終的に選挙で決めるのが民主主義国家です。
そもそも、「自由と平等」は相反する概念だと思います。自由を重視すれば格差は拡大し、平等を取れば経済は停滞する。要は程度問題です。「新しい資本主義」の中身は昔から言われていることの焼き直しです。「貯蓄から投資へ」はデジャブといえ、実は私が金融副大臣をやっていた2006年頃に書いた『金融商品取引法』の序文にもあるんです。要するに、日本を「1940年体制」から大転換する戦略があるか否かが問われているんですよ。