佐藤健太
ライフプランの相談サービス「マネーセージ」CMO。心理カウンセラー・コラムニスト。社会問題から政治・経済まで幅広いテーマでソーシャルリスニングも用いた独自の分析を行い、人の「心理」の観点から様々な業界に助言。メンタルヘルス対策や各種コンサルティングなどを担い、コラムニストとしても活動している。
■日本の競争力は63か国中34位
まず、公益財団法人「日本生産性本部」が2021年12月に公表した「労働生産性の国際比較2021」を見ていきたいと思います。日本の時間当たり労働生産性は49.5ドルで、OECD(経済協力開発機構)加盟38カ国のうち23位となっています。この数字は2020年の就業1時間あたりの付加価値を意味しており、米国は80.5ドル、フランスは79.2ドル、ドイツは76.0ドル、英国は69.3ドルです。1970年以降、日本は最も低い順位にあります。
我が国は1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)も7万8655ドルで、OECDの中で28位と低く、主要先進国の最低水準となっています。また、2022年6月に公表された国際経営開発研究所(IMD)による「世界競争力年鑑2022」によれば、日本の総合順位は63カ国・地域の中で34位と低迷し、特に生産性や効率性を示す「ビジネス効率性」分野は51位と全体の足を引っ張っている状況にあります。日本の総合順位は1989年から1992年まで1位であり、1996年までは5位以内をキープしていましたが、その後は低迷が続いています。
労働生産性は、就業者1人あたりが生み出す付加価値を意味します。我が国も労働生産性の向上や長時間労働の是正といったものは国家を挙げて取り組むべき課題に位置づけ、関連法の整備などを進めています。ただ、政府による規制、グローバル競争の障壁に加え、日本には中小企業が多く存在し、その生産性の低さが全体を押し下げている可能性も指摘されます。近年の労働生産性の伸び悩み要因としては「資本装備率」(労働者1人あたりにどれくらいの資本ストックが割り当てられているかを示す指標)の寄与低下が大きい面は否めません。しかし、設備投資促進による資本装備率の引き上げ、そして従業員の教育訓練に伴う能力強化、組織の改革などを含めて改善の余地はまだ十分にあると言えます。
今回、取り上げたいテーマは「人」です。改めて言うまでもありませんが、業務のデジタル化やAI(人工知能)の活用をいくら進めたとしても、組織の根幹をなす部分は「人」による関与が避けられません。たしかに少子高齢化の荒波とともに労働力人口は減少していきます。ただ、この埋め合わせや設備投資・IT投資だけでは労働生産性の向上には結びつかないでしょう。つまり、一人ひとりの生産性を高めていくことが急務なのです。
■リストラではなくて心理的安全性
では、いかに生産性を上げていくのか。一般的に労働生産性は企業規模が大きくなるにつれて高くなると言えますが、企業全体の9割を超える中小企業にも当てはまる改善策と言えば、それぞれの従業員の業務を見直すことから始まります。経営者の観点からはコスト削減、人手を減らすといった強攻策に走りがちですが、それだけに傾注してしまうと従業員のモチベーション低下から「心理的安全性」が失われ、離職率アップや生産性低下という逆効果を招きかねません。そのため、経営者ら一握りの幹部だけが知る改善策ではなく、全従業員との共通認識として何を、どのように進めるのかという計画を策定し、それを着実に実施していくステップが欠かせないのです。
企業規模や業態などによって課題や改善策は異なるので一概には言えませんが、共通するステップとしては「プランニング」「課題の洗い出し」「業務の取捨選択」「人材の再配置」「改善策の実行と評価」といったものが挙げられます。ただ、それらの根幹をなすのはいずれも「人」であり、その点をないがしろにしてしまうと改善策をスムーズに進められないどころか、かえってマイナスの結果に繋がる恐れもあるため要注意です。
■プレゼンティーイズムの経済損失を減らす
今回は、従業員のパフォーマンスに影響を与える要因として注目される「プレゼンティーイズム」について触れておきたいと思います。プレゼンティーイズムは「欠勤にはいたっておらず勤怠管理上は表に出てこないが、健康問題が理由で生産性が低下している状態」と定義されています。この状態は「アブセンティーイズム」(健康問題による欠勤)による損失や医療費よりも企業コストは高く、生産性を阻害する要因と指摘されています。
ガンや糖尿病、肥満などの疾患・症状が労働生産性に影響を及ぼし、睡眠時無呼吸症候群や更年期障害などもパフォーマンスや就業の継続などに影響するとされます。欠勤するほどではないものの、健康状態が良くない状態で働いている人が多いことが損失をもたらしていることを認識しなければなりません。従業員の健康状態の維持はパフォーマンスや人材育成の観点からも重要です。「片頭痛・頭痛」「うつ病」「高血圧」「アレルギー性鼻炎」「過敏性腸症候群」などプレゼンティーイズムに影響を及ぼす疾患・症状を組織として理解し、健康課題を支える仕組みに取り組んでいく必要があります。
経済産業省が2020年6月に策定した「健康投資管理会計ガイドライン」は、「従業員などの健康の保持・増進の取り組みが、将来的に収益性などを高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」が重要であると位置づけています。 企業が「健康経営」という考えに基づき、従業員の健康の保持・増進を行うことは、労働生産性や企業イメージの向上、さらには医療費の適正化などに繋がり、単なる「コスト」ではなく、将来に向けた「投資」であるという捉え方です。
■攻めの健康管理
健康経営を進める上では、定期健康診断やストレスチェックといった労働安全衛生法などに基づいた「義務的な健康管理」を行うだけでなく、労働生産性の向上といった経営課題解決のために必要な健康の保持・増進に向けた取り組みが重要となります。健康経営の取り組みを促進するために策定されたガイドラインにおいては、実施プロセスを①戦略設定(達成目標の設定や施策)②実施(施策実施と健康投資額の把握)③取り組み評価(投資対効果の分析と達成状況の把握)④改善・対話(施策改善)―の流れが薦められています。健康投資効果として現れる従業員の健康状態やヘルスリテラシー、ワーク・エンゲージメントの向上が生産性に結びつくと注目されているのです。
従業員の健康増進アプローチとしては、健康管理システムや専門人材の導入、運動習慣を改善するためのジム運営など幅広いものが考えられています。ただ、例えば「食事セミナー」といった研修や、「生活習慣改善に関する情報共有」「健康に関する知識や技能を問う検定の受検補助」などを実施すれば、健全な食生活を送る従業員の割合が高まり、要受診率が低下。その結果としてアブセンティーイズムやプレゼンティーイズムの低減がみられ、個人のパフォーマンス向上に繋がることが期待されます。また、残業時間の低減は睡眠時間の増加やストレス反応の改善をもたらし、ワーク・エンゲージメントの向上にも結びついていくことでしょう。
パフォーマンスや就業の継続に影響する「更年期障害」については、NHKが専門機関と共同で2021年7月に実施した調査が衝撃を与えています。「頭痛」「憂うつ」といった性ホルモンの減少によって起こる更年期特有の症状を40代・50代の男女に聞いたところ、「現在、経験している」「過去3年以内に経験した」という人は女性の約37%、男性の約9%に上り、労働者に深刻な影響をもたらしていることが明らかになったのです。
仕事にマイナスの影響があった「更年期ロス」の内訳を見ると、「仕事を辞めた」女性は9.4%で最も多く、男性は「人事評価が下がった・降格した」が7.8%で最多です。「更年期離職」を経験した人は40~50代女性で約46万人、男性も約11万人と試算されています。ただ、「症状への業務上の配慮がなかった」「偏見を感じた」という人は多く、職場でどのように扱われるのが望ましいか聞いたところ、約40%は「職場の誰もが更年期症状や対処法について理解できる研修(職場の全員への研修)」を望んでいたとの結果が出ています。
世界トップクラスの平均寿命を誇る日本は、少子高齢化と生産年齢人口の減少に伴い労働力確保や労働生産性の向上が大きな課題となっています。ただ、イノベーションの導入だけではなく、従業員一人ひとりのパフォーマンスを維持・向上させていくために心身の健康を守る職場づくりは欠かせません。従業員の健康があってこそ、企業は「健康経営」になることができるのです。
産業医やカウンセラーなど相談窓口の利用推進や通院・治療のための休暇制度の導入・周知、各種研修や情報共有などをすすめ、従業員と一体となった生産性向上のための改善策に取り組むことが求められています。