大企業でも公的機関でも、30代半ばから40代前半で次代を担う人材の社外流出への危機意識が高まっています。1970年代前半に誕生した団塊ジュニア世代や、IT起業家の多い「76世代」よりも5歳から一回りほど若い世代で、デジタルマインドと実務能力があり成長意欲に富んだ人材は、どの組織も獲得したい存在です。

 上司としては精いっぱい手塩にかけて育てているとしても、あらゆる業界のあらゆる企業が、ダイレクトリクルーティングを駆使して人材の引き抜きにかかっています。組織としてはこの「見えない敵」との戦いに勝たなければ、希少な人材を失い、事業活動を遂行できなくなってしまいます。

高い成長意欲を持つ若手の離職防止と職場ロイヤリティ向上の観点からも、若手に新規事業創造の責任者ポジションを任せて、職業人としての高度な学習機会と、既存業務の延長ではない新しいビジネス経験を得られる舞台を提供することは有効と考えられます。

しかしながら、事業転換や新規投資への経営姿勢が社員に共有されていない組織の場合、他部署から新規事業部門の必要性への疑問や批判が出てきます。また、新規事業の構想・実験・確認のプロセスでは収益が生じないので、営業現場の発言力が強い企業や、厳格な成果主義を導入している企業の場合、配属された人材は人事考課で低い評価を受けてしまうことになります(だからこそ、伝統的大企業において本社と地理的・就業制度的に分離した「出島」を設置するケースが増えているのかもしれませんが)。

社内ベンチャーや新規事業の意義や評価については、1960年代以降、無数の学際的研究成果が蓄積されています。そのなかには、社内ベンチャーはそもそも業績面では成功しないことが多いこと、組織内での社内ベンチャーへの資源配分は容易ではないこと、社内外の環境変化の影響を強く受けるため常に不確実性が高いこと、などの論点が示されています。一方、社内ベンチャーは新サービスの試行の場としての機能があること、経営資源の潜在的活用可能性を発見する機会となること、市場ニーズを再認識する機会であることなどから、企業価値向上に不可欠との評価がされています。

東京大学の経営学研究者による論稿「新規事業創出経験を通じた中堅管理職の学習に関する実証的研究」(田中・中原、2017)では、中堅管理職は新規事業経験によって「他責思考期」「現実受容期」「反省的思考期」「視座変容期」の4つの学習段階を歩んでリーダーとしての素養を獲得することを実証しています。初期には事業がうまくいかない責任を他者に押し付けるマインドだったのが、自分自身で解を導くマインドに変わり、次の段階では事業責任者としての自分自身の立場を認識し、その次の段階では他者の協力を得るために他者の視点に立ったコミュニケーション姿勢となり、リーダーマインドを身につける、というステップです。そしてこのプロセスで経営、技術、市場などに対する学習を深めていくことに大きな価値があることを示唆しています。

1980年代の花王のフロッピーディスク(FD)事業参入の過程を研究したColumbia Business School教授で自身も起業経験があるRita McGrath氏は、当時、花王が何段階にもわたる仮説設定と課題発見をへて事業を成功に導いたことに評価を与えています。情報通信市場の環境変化で同社は1998年にFD事業から撤退していますが、当時の社長だった後藤卓也氏は、FD事業の経験によって社員が石鹼や洗剤とは全く異なるグローバルビジネスの経験を積んだことがその後の各部門の人材の活躍につながったと振り返っています。

新規事業にアサインされる人材の活動成果は、収益面で測ることは適切ではないので、違った評価軸を用意する必要があります。

新規事業担当者の評価は「業績貢献」ではなく「回転数」で

例えば、新規事業としておにぎり屋を開店するとします。事業構想→出店→損益分岐点越え→事業のスケールアップを相応の年月をかけて実現するには、少なくとも以下のような点について独自のノウハウが構築されなければいけません。

消費者は誰で、おにぎりにどんな機能や価値を求めているのか

天候により客足はどのように変化するか

どんな具材のおにぎりが潜在的に求められているのか。不人気商品の何を改善すれば売れると考えられるか

予算内で計画通りの生産をするにはどのような技術や手法が必要なのか

競合相手の強みを消すには何をすればよいのか

アルバイトスタッフを確保するにはどうすればよいのか

協力会社の努力を引き出すにはどんな配慮が必要なのか

社内の他部署の協力を引き出すにはどんな配慮が必要なのか

これらのノウハウは財務上のデューデリジェンスとネットアンケートと販売データの分析では得られないので、成功した起業家が誰しもそうであるように、自分自身の知力と体力を使って事業開発と営業をし、PDCAを繰り返したかどうか、すなわち「PDCAの回転数」で評価することが、先行研究の示唆からも適切と言えそうです。

いま産官一体で進めているリスキリングでは資格や学位取得に注目が行きがちですが、実務でPDCA回転数の多い人材を「PDCAパーソン・オブ・ザ・イヤー」として評価を与えるということがあっても良いかもしれません。PDCAの回転数と専門的スキルの双方を取得することを目指す人が増えれば、毎日の職場に活気が生まれ、成長率も飛躍的に高まりそうです。