※対談①はこちらです

センス(Sense)とソウル(Soul)とサイエンス(Science)

小倉健一氏・ITOMOS研究所長)雑誌の発行部数を公表している機関があります。コロナ禍で雑誌全体では3割減。経済誌も一般週刊誌含めて99%がマイナスのなか、プレジデントはプラスだったんです。

ボクがプレジデントの編集長に就任した当初は、コロナが突然襲ってきて皆一気にスマホになって。コロナ前から雑誌は全体的に落ち込んでいたんですが、3割減の大恐慌に突入して。このなかで頑張っていた方だったんですけど、やっぱりちょっとこれはいかんと思って、あらゆる雑誌の目次を片っ端から読みました。発行部数はずっと見ていたんですけど何がいけないのかわかんなくて。

経営学者の楠木建先生が、スキルを磨いてセンスにするっていう話を仰っています。マスコミでも、とにかく天才と言われてる編集者はいらっしゃるんですよね。月刊文藝春秋の新谷学さんとか月刊Hanadaの花田紀凱さんとかっていらっしゃるんですけど、そういう人たちがどういう考えで本を作ったか全部読んだんですよ。それで、数字には見えない何か、それこそ点を線につなげるっていう話につながっていくと思うんですけど、何かストーリーを、何かその売れているものに飛びつくだけじゃなくて、そこにストーリーを付けてですね、プレジデントならではのストーリーを付けてやっていこうっていうのを決めたら売れ始めたんです。

荻島浩司・TeamSpirit社長)そういう意味で言うと結構最初から思ってたのは、経営の要素ってセンスとソウルとサイエンスだと。順番もこのまま。先にセンスがあって情熱があって熱意があって、そこに必要なスキルがサイエンスなんじゃないかなと思っているんですね。なので、僕の場合スキルはあんまり磨かなかった(笑)

(小倉)そこはもう、持っているスキルを使おうというとこなんですかね(笑)

(荻島)最初からすべてのスキルを磨いたわけじゃなくて、これをやらなきゃ!っていう風に追い込まれなければスキルは磨かれない。例えば、バーゼルのBIS(国際決済銀行)規制に対応したシステムを作ったときに、BISなどが出してる文章を翻訳のツールを使って全部読んで理解して、統計を使っていわゆる軽量化するっていうことがどうやったらできるんだっていうようなことを専門家に聞いてやりましたけど、それは必要に迫られてやったことなんですよね。

(小倉)点が線になってプロダクトを作る面白さが分かって起業した、という事ですよね。自信がついたというか。こういう風に作っていけば消費者がいる、買う人がいるんじゃないかというところから起業の話が始まると。

(荻島)そうですね。実はそこまで起業に自信があったとかじゃなくて、時間をかけてやっと自信がついていったっていう事ですかね。起業した時点ではまだ自分の中でもプロダクトを作るっていうこと自体に専門性があるって思っていなかったので。皆これぐらいのことはできるから、単にボクに任せてくれているだけだったって思っていたので、そこは気が付いていなかったです。

そこで起業の話になるんですけど、当時自分で企画をして売り込みまで行って、その中でコアとなる部分の開発が、当時、業務を受託していた東芝の中では出来なかったので、人を探さなきゃということになった。昔ソフトウェアハウスにいたこともあってそこのメンバー何人か、私の会社に入ってもらって作っていたんです。非常に優秀なメンバーが入ってくれてスムーズに事業ができたんですけども、当然下請けの仕事もやっていて残業も多くて、出来上がったとしても誰に喜ばれるわけでもないし、お客さんに呼ばれるときはクレームを言われるとき、でした(笑)。

このままずっと続けて言ったら単なる人売りの商売だと。IT産業と言いながら単に人の時間と血と汗を売ってるだけだなっていうことで。こういう事業をやるために独立をしたわけじゃないので、いよいよ自分のプロダクトを作ろうと思って、今のTeamSpiritを作ろうと思ったんです。

(小倉)ずっと受託でやってたけど、いきなりバスっと全部仕事辞めて、自社開発1本にしたんですね。思い切って辞めたんですよね…

(荻島)その直前は残業も多くて、非常に儲かってますね(笑)

(小倉)ははは(笑)。受託生産ですからリスクもそれほど大きくはない。

(荻島)利益が出ていたので、それをテコにお金を借りて、全部をつぎ込んだんですけど、受託事業も当然忙しいですから、夜遅くまでやってる中で、自社開発の製品は夜中に徹夜して作っていたんですよ。でも、その片手間でやってるものを商売でメインにするってことは出来ないなって。お客様に対しても失礼だし。

当初、純正品をどう出せばよいのかわからなかったんですが、クラウドにすることで先がいけそうだなっていう風に思った。それで勤怠管理だけの機能をクラウド上で無料提供したら意外に多くの反応がありました。そこで、3割ぐらいの確信しかなかったけど、やってみようって。

2009年ぐらいから考えはじめて、2010年に無料の勤怠管理を出していけそうだっていうことになったので、2011年頭にそれまでの仕事を全部切って、新しいプロダクトに懸けた。ただ、3月11日に震災が起き、とてもじゃないけど、一気呵成に営業を仕掛ける、なんていう状況ではなかった。

3月20日ぐらいに、何とか一応スタートします、っていうプレスリリースを出しました。それは1つの転換でした。もともとウチの会社は東芝1社だけ、1本足打法だったんで、2社目3社目のお客様を作りたいと思った。いまは1,600社以上のお客様がいてくださいますが、プレスリリースを出す決意をした時点で、特定企業のためのサービスではなく、すべての会社に使っていただけるものにしようという気持ちは固まっていました。

もしあの時点でどこか1社2社だけに寄りかかっていたら、その会社との関係もなかなか上手くいかなかったはず。いまやHR市場には良いサービスがいっぱいありますからね。

「受託の呪縛」から脱する

間中健介・WITH所長)受託から逃げられない人ってものすごくいっぱいいる。受託をずっと続けていると身をすり減らす、自分自身が減価償却されるっていうのは誰しも頭ではわかるけど。私もそういう仕事を以前はやっていたんです。毎年同じような企画書を書いて、時間を切り売りしていて。これでは20年働いてもビジネスの醍醐味は得られないって思った。独立したときにはまったく先が見えなかったけど、荻島さんとも出会ったり、いろいろな人と創造的な仕事をする機会に恵まれてきました。

人と一緒に新しいことをやる時って、まずは自分の報酬を削って人にお支払いをする。経営者はみんなそういうことをされていると思うんですけど。私自身は40歳頃のときに自分の報酬を3割ぐらい減らして若い人に仕事をお願いした時に、報酬を減らせるのってすごい嬉しいって思ったんです。これは経営者だけが持てるオプションなんですよね。

大企業のサラリーマンってスキルは高いけど、事業家としてリスクを取るスタイルではないので、さっきの話で言えば、スキルは磨けるけどセンスを磨く機会があまりにも少ない。そこから踏み出せない人っていっぱいいて。

いざ事業家としてやってみると、自分の報酬を決めることが出来るのがすごい楽しいなって思ったんですね。上げることも下げることもできちゃう。荻島さんもきっとこういう苦労も楽しさもいろいろ経験していると思うんですけど、私は、この段階を超える楽しさみたいなのを広く伝えたいなって思っているんですよ。

(荻島)確かにね。確かに楽しいと言えば楽しいね。1番辛かったのはやっぱり受託開発で儲かっていた時が1番大変だったんですよ。なぜかというと、儲かっている状況を辞めて新しいことに踏み出さなければ先が無いと思ったから。決断するまでの間が1番辛かった。

2011年に全部辞めて、まさに背水の陣ですよね。突っ走るしかないっていう状況にしたときは、もうすごくハイな状況になってるっていうか、めちゃくちゃ楽しかったですよ。

(小倉)僕も「日本で1番売れているビジネス誌」編集長から飛び出そうと決めるまでの間は、やっぱり暗かったですね。辛かったですよ、その前後が。

でも、結局なんとかなるだろうと思った。この状況で雑誌売ってて、PVもめちゃめちゃ上げているだから何とかなるだろうと思って飛び出して。独立を決めてからは無茶苦茶楽しいですね、今もホントめちゃめちゃ楽しくてしょうがないですね。

(荻島)それをどうやったら楽しくできるかはわからないんだけど、結果論として楽しいですよね。

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