小黒一正(法政大学教授)

1974年生まれ。京都大学理学部卒業、一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。1997年大蔵省(現財務省)入省後、大臣官房文書課法令審査官補、関税局監視課総括補佐等を歴任。2010年一橋大学経済研究所准教授などを経て、2015年4月から法政大学経済学部教授。この間、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、経済産業研究所コンサルティングフェロー、厚生労働省「保健医療2035推進」参与、内閣官房「革新的事業活動評価委員会」委員、会計検査院特別調査職、鹿島平和研究所理事、日本財政学会理事、新時代戦略研究所理事、キヤノングローバル戦略研究所主任研究員等を歴任。主な著書に、『日本経済の再構築』(日本経済新聞出版社、2020年)『薬価の経済学』(編著/日本経済新聞出版社、2018年)等がある。

現在のコロナ禍でICTの活用が進むなか、「イノベーション総合研究所」が始動する意義は大きい。理由は、欧米に対するキャッチアップが終了した現在の日本では、中国やインドといった新興国の台頭により、「高品質かつ低価格の競争」をする大量生産型・経済モデルの限界が明らかとなっているためである。

従来型モデルが通用しない状況では、「高付加価値の競争」を行うため、新たな価値や財・サービスを創造する経済モデルへの移行が求められている。バブル崩壊後、この時代的な要請はインターネットが世界で浸透し始めた2000年代から明らかであったが、日本ではその対応が遅れていた。だが、ビッグデータや人工知能(AI)等の登場がその動きを加速し、イノベーションを創出する新たな経済モデルを確立する必要性が早急に高まりつつある。

いわゆる「データ産業革命」の到来だが、それにより、いま、アメリカや中国を含む世界における経済成長の主なエンジンは、生産設備や土地といった有形資産というよりも、知識・デザインや特許等のアイディアといった無形資産に重心が移りつつある。その象徴がアメリカのGAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)や中国のBAT(百度, 阿里巴巴集団, 騰訊)などの飛躍的な成長であり、無形資産のなかには企業や個人が生成・保有する膨大なデータのほか、個人がもつ発想力や閃きといったものも含まれる。

これらの価値を正確に測定することは難しいが、2つの企業A・Bのうち、同じ量の生産要素を投入しながら、どちらの企業が優れているかを把握することはできる。当然、投入した生産要素が同じでも、発想力や閃きなどが優れている企業の生産量(付加価値)が多いはずであり、それを経済学では「生産性」という概念を用いて測定してきた。すなわち、生産性を「生産量(付加価値)÷生産要素の投入量」で測定するという方法である。

また、「生産要素=労働力」を想定するときはその生産性を「労働生産性」といい、「生産要素=資本」を想定するときはその生産性を「資本生産性」というが、同量の労働力や資本を投入しても、生産性や生産量が異なるケースも多い。

この違いを従来から経済学では「全要素生産性(TFP:Total Factor Productivity)」と呼び、その伸びをTFP上昇率として測定してきた。TFP上昇率にこそ、生産に投入した労働力や資本では把握できない、「多くの何か」が含まれている。

この「多くの何か」こそが経済成長の源泉であり、生産性の謎に関わるものといっても過言ではない。その中心に位置するのは発想力や閃きであるが、それ以外にも、

①各々の社員が生き生きと働けるための環境整備
②社員のインセンティブを高める人事制度
③円滑な社内コミュニケーション
④タイムリーかつ適切な経営戦略

などが含まれる。

すなわち、経営陣や社員が考え出す優れた発想力や閃き(例:アイディアやデザイン・創意工夫)のほか、それを生み出す①から④なども重要であり、その底上げを図るため、クラウドやビッグデータ等の新たなICT技術を積極的に活用して醸成される能力(的確な判断や新発見を含む)などもTFP上昇率に大きな影響を及ぼすはずである。

もっとも、ICT技術の活用は「手段」であり、「目的」ではないということも、我々は忘れてはいけない。手段が目的化することがあっては本末転倒だ。ICT技術やデータ・人工知能のプログラムよりも、それらを利用して、環境問題も克服しながら、どのような人間主体の豊かな社会、すなわち人間本位のデータ駆動社会を我々が構築するかという目的の方が重要である。

コロナ禍で少子高齢化や経済のグローバル化が進むなか、いま我々は様々な問題や矛盾を抱えている。この問題や矛盾は成長の源泉でもあり、それらを解決するための発想や閃きこそが新たなイノベーションを生み出すはずだ。

「問題や矛盾を解決したい」あるいは「何かを創造したい」という強力な情熱も重要であり、新たなイノベーションを生み出すためには、経営者の情熱や哲学・ビジョンのほか、それらを具体化した「経営戦略」や、クラウドやビッグデータ等のICT技術を積極的に活用した「組織変革」(働き方改革を含む)そのものも重要な鍵を握る。

いずれにせよ、人間の発想力や閃きは無限であり、それらが成長の源泉といっても過言ではない。例えば、人間の潜在的な能力や感性を一層刺激し、イノベーションの創出のほか、より豊かな発想力や閃きを生み出すICT技術の活用とは如何なるものか。人間本位のデータ駆動社会の構築に向け、ICT技術を活用しながら、それらを促す試みこそが、令和時代の「シン生産性革命」を引き起こすと確信する。