間中健介

1975年生まれ。WITH所長、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任助教
衆議院議員秘書、創薬支援ベンチャー設立参画、関西学院大学非常勤講師、内閣企画官(成長戦略、DX、働き方改革)をへて現職。2021年以降、人的資本投資に関して日本公共政策学会、キヤノングローバル戦略研究所等で研究報告をするなど、人材とイノベーションに関する活動多数。経済学修士、経営修士専門職(MBA)
著作に『Under40が日本の政治を変える』(オルタナ、2009-2012)、『ソーシャル・イノベーション』(関西学院大学出版会、2015)など。
2013年以降、日本初の本格的な小児がんポータルサイト「CureSearch日本版」を開設運営(http://www.childrenscancers.org/)。

金鉱脈を探しに行く感覚

現代の先進国における最も希少・貴重な経営資源は人的資本です。言うまでもなく日本では人的資本の供給制約が毎年厳しくなっています。就業者数自体は20年前よりも300万人程度増えて6,600~6,700万人となっていますが、次代を担う35歳未満に限ってみると20年間で480万人減少して1,600万人ほどとなっています。

GAFAMに限らず、あるいはハイスキルのエンジニア人材に限らず、今や都市部の大企業でも採用難が常態化しており、採用コストも上昇の一途です。ヒラメ筋営業マンもまたデジタル企業の競争力向上に不可欠ですから、ヒラメ筋営業マンの採用コストが低下しているわけでもありません。人材紹介エージェントに支払われる紹介報酬は一般的に「紹介した人材の年収の30%」と言われてきましたが、「80%を支払う代わりに我が社に優先的に人材紹介をしてほしい!」という話も人材業界ではしばしばあるようです。

ある大手金融機関では、出戻り人材の昇進基準や退職給付の算定において他社に就業していた期間も加算することで、OB/OGの復帰を促進しています。「出戻り」というキャリアがどことなく後ろ向きに捉えられていたのは昔のことで、現在は三顧の礼で迎えられることも珍しくありません。

人材会社のJAC Recruitmentによると、2020年秋以降、業界にもよりますが、全体的に転職市場は活性化しています。皆さんの周りでも、ある日突然、スゴ腕人材が入社することもあれば、将来性のある若手から急に辞表が差し出されることも起きているでしょう。

企業としては、欲しい人材に来てもらうこと、現有人材に長く働いてもらうこと、人材に戻ってきてもらうこと、そして人材を育てることに経営資源を投入しなければいけません。また、単に従業員を確保するだけでなく、自社のエコシステムへの参加者を増やすという発想も問われるようになっています。重工業メーカーの三井E&Sホールディングスは岡山県玉野市で企業版ふるさと納税を活用して高校生の育成に尽力をしていますが、日本企業の間でも、国境を越えて研究者や社会起業家コミュニティへの投資をしたり、高校・大学への投資をしたり、教育研修メニューの大幅拡充に取り組んだり、従業員の独立起業を支援するなどの動きが頻繁に見られています。

海外に目を転じると、楽天はJICAと連携して、アフリカのルワンダで起業家、IT人材の育成に取り組んでいます。ルワンダでは世界の名だたる企業が採用活動合戦や新興企業買収合戦を繰り広げています。大手企業であろうと財閥系企業であろうと気位高く構えず、金鉱脈を探しに行く感覚でリソースを投じなければいけません。

人的資本投資は16倍のリターン??

経営者にとってフリーキャッシュフロー(FCF)の使い道には内部投資、外部投資(M&Aなど)、負債削減、株主還元があります。年度によっては負債削減を優先するべき時期もありますが、中期的には内部投資と外部投資にFCFを効率的に投下することで企業は発展します。いま求められているのは、企業の発展と人的資本の発展がセットとなるような企業行動です。

人的資本投資は単に従業員に利益を還元するというものではありません。多くの中小企業では利益が出た場合、法人税を払うよりも臨時手当を支給するなどして従業員還元をするケースが少なくありませんが、これでは事業が発展せず、翌年度以降の従業員給与がアップすることにはなりません。

内閣府「年次経済財政報告」によると、1人当たりの人的資本投資額が1%増加した場合に労働生産性は平均的に0.6%増加する可能性があります。そしてこの水準は従業員の自己啓発を支援している企業の方が高い傾向があります。内閣府の調査によると企業の一人当たり平均年間人的資本投資額はOJTとOff-JTを含めて30万円弱であり、一人当たり年間労働生産性は日本生産性本部によると809万円となっています。つまり人的資本に3,000円投じると48,500円ほど生産が増える可能性があります。

16倍ものリターンが見込める投資なんて滅多にありませんので、経営者はまず内部人材への投資に取り掛かるしかありません。そこからFCFを増やして企業価値を高め、外部投資によって新事業を手に入れ、外部人材コミュニティの能力の取り込みをしていくことで、飛躍への循環が実現するでしょう。

人的資本投資を成功させるために

人的資本投資には、当然ながら経営者の思い通りにならないことも少なくありません。機械設備と違って人的資本は「所有」することが出来ませんので、いくら引き留めても離職されてしまうことがありますし、社長面接までセットして採用内定を出した学生に入社を辞退されることもあります。

ミスマッチも頻出します。DX成功企業と言われる企業でも、デジタルビジネスを開発する人材が必要なのにデジタルマーケティング人材を採用してしまい事業構想がうまくいかなかったというケースは珍しくありません。大企業出身者とアドバイザリー契約をしたものの結果的にフィーが過大であったという例も珍しくないでしょう。

人的資本投資の成功確率を上げるには、私は、新たなテクノロジーやビジネス手法へのチャレンジをし続けることが不可欠であると主張しています。組織として新領域にチャレンジし続ける姿勢を見せることで、従業員は自発的に学びのテーマを見定め、自己研鑽に時間を使うようになります。その姿勢が外に伝われば、成長を望んでいる人材が応募してきますし、若手の離職を減らすこともできます。もちろんその前提としては、人的資本投資をFCF増大に確実につなげ、処遇・待遇の改善をするための経営者の努力が欠かせません。

また、人事評価を見える化し、どんなキャリアを描けるのかを説明することも有効です。雇用のミスマッチには、解消可能なミスマッチと、解消困難なミスマッチがあります。人材の側が持っているキャリア感を組織の側が実現できないのであれば、それを説明することが人材の成長を支援することにもなります。

10年ほど前、私は元千葉ロッテマリーンズ投手でメジャーリーグ(MLB)経験者である小宮山悟氏を招いて動画番組を運営したことがあります。小宮山氏はそこで「MLBの舞台に立つためには、敗戦処理でも喜んでマウンドに立つマインドが不可欠だ」と語っていました。おそらく、プロとして世界の人々に活躍の場を見てもらいたいなら、チームのなかで自分が果たせる役割を見つけるべきという示唆と受け取れます。MLBの試合に出るには40人の枠(ロースター)に登録される必要があります。先発投手としての活躍の場が無いとチームから教えてもらえればリリーフ投手として40人枠に入ることを目指すか、あるいは下部リーグに移籍してでも先発投手にこだわるのかを選択することができます。

人的資本投資拡大は企業経営者に課されたミッションですが、同時に、人材を経営する人すなわち働き手自身が負っているミッションでもあります。労使の分配争いの文脈で捉えるものではありません。経営者も働き手も、どのように人的資本投資を成功に導くか、それぞれの解を考えていくことが求められます。